2年ほど前に懐かしい知人と会ったときのことです。
相手の視線が「変わってないね!?」と私の全身を上から下まで遠慮なく往復するのです。
40代までは、久しぶりに会ってもお互いにそれまでとほとんど変わりありません。
しかし、50代に入ってくると、「老け込み」「太り」、約束の場所で待ち合わせをしていなければわからないかもというくらい変わってきます。
しばらく会っていない人と「食事に行こう。」となると、会うまでに少しやせなくてはと、まるで人間ドックに行くかのような心持ちです。
そんな年齢になってきて、最近また「老い」かと感じたのが、次の3つです。
老いがすすんだと思ったこと3つ
一般的な話しとして読み聞くのと、実際に自分の心身に起こりうるのでは、やはり衝撃が違います。
- 土手を上ったら下りられなかった
久しぶりに近所の土手を散歩した時のことです。
上りは問題なかったのですが、下りが転げ落ちそうで下りられなかったのです。
しかたなく、カニのように横歩きになり、転げ落ちそうになるのをこらえながらなんとか下りました。
それでも転げ落ちそうで、自分にはもうこの斜面を下る脚力がなくなってきているのかと愕然。 - DMがたまっていく
服・雑貨・化粧品などのカタログが入れかわりたちかわり送られてきます。
それらが、封も開けられずにたまっていく一方なのです。
このカタログの山がゴミ屋敷の一歩なのかも。
どうしてたまってしまうのかというと、まず、袋やビニールを開ける握力が弱くなてきていて、物理的に開けることが難しいのです。
「この袋を開けるのは困難だ。」と、無意識に白旗を上げてしまっているかのようです。
さらに、カタログを見てもなかなかどれにするか決められず、見ては閉じ、また見ては閉じとなり、捨てることができなくなってきています。 - 上司との面談時間を忘れそうになる
職場で上司との面談が年に数回あるのですが、その時間を忘れそうになるのです。
当日の朝は覚えているのですが、仕事の合間に入っている面談時間をその時間がくるまで覚えていられないのです。
メモを貼っておいても、自分の手にマジックで書いておいても対策になりません。
「こういうこと、もうできない‥‥。」
老いに飲み込まれないために
このような心身の老いは、不便でうれしいものではありません。
そして、何とかしようと思う気になれないほど圧倒的です。
どうすればいいのでしょうか。
このままあらがわずに飲まれていくのか、そうでないのか。
それは、現在持ち合わせている気力次第なのかなと思います。
今まで下りれた土手が下りれないなんて、そんなことになるのは、自分だけはイヤだ!と。
若い頃とちがい無理してケガでもしたらとりかえしがつかないということだけは肝にめいじ、この「土手の件」は、自分の中には何とかしようという気力が残っていました。
散歩しますよ、この土手を。ちょくちょくね。
DMの山は、正面から対処する気力はないため、DM解除という方法をとりました。
カタログはながめるだけでも楽しいものですが、ここまで片づけがおっくうになってくると危機感すらあります。
解除ができる認知能力があるうちに、早目にやることが大切ですね。
職場の面談は、周りの人に伝えておくようにしました。
人の面談時間まで面倒みてくれるわけではありませんし、周りだって同じような年齢です。
万が一の時に、「あれ?面談時間ではないの?」と声をかけてもらえるかもしれないと思いまして。
職場以外のことでも、例えば美容院や歯医者の予約をとると、その日時に忘れずに行くということが本当に難しくなってきました。
まとめ
この先、10年後、20年後には、心身はどんなに弱ってしまっているのでしょうか。
救いなのは、知人で90代でもテニスをしたり、耕運機で畑を耕し野菜を作っている人を実際に見ていることですね。
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