働いていた時、どんなに忙しくても、お給料日は通帳を持って出勤することを忘れませんでした。
現金収入の威力ってすごいですよね。
通帳はかばんに直接入れずに、母が作ってくれた布のポーチに入れ、そのポーチをかばんに入れて通勤していました。
何でも使い始めるとあっという間に10年
「いくつか作ってみたけど、どれがいい?」と言われて選んだのが、いったいいつ頃だったのか。
通勤かばんに一緒に入れておいたタンブラーのフタがきちんとしまっておらず、ポーチやかばんをお茶で汚したことは数知れず。
経年劣化もあり、今、こんな状態になっています。
このいたみ具合ときたら!10年程使っていたのでしょうか。それとも、20年?
仕事が忙しすぎたのか、性分なのか。
私は何か物を使い始めてから10年くらいはあっという間に経ってしまいます。
その昔、母に「トコミ、人は見ていないようで見ているものだから。」と新しいブラウスを差し出されたこともあるんですよね。
もともと洒落気のないところに忙しかったこともあり、私自身の身づくろいは地味目のよれよれ気味。
母も、気がきでなかったでしょう。
そんな私が、ついに、「このポーチ、大変なことになっている!」と思ったわけなんです。
更に実家の片づけをしていたら、母が作ったまま、まだ使っていない新しいポーチを見つけたこともあり、これまでの物はもう捨てようかなと思ったのです。
捨てられない4つの理由
けれど、捨てることができません。どうしてこうも悩むのか考えてみました。
- 唯一無二である
亡き母の手作りのため、捨ててしまったら最後、もう二度と手にすることはできません。
- 機能性が残っている
繕いようもないほど傷んでしまっている部分もありますが、小物入れとしての機能は果たせる状態です。
- 所有していることに、安らぎや誇りを持てる
ぞうきんを縫うのもままならない私からすると、これはもう立派な芸術作品です。
- かさばらない
整理したつもりでも、テーブルの上も引き出しも次の物で埋まってしまいがち。
幸いなことに、小物であるため場所を取らず、しまっておく場所もかんたんに移動させられます。
こうしてみると、家族が作った物をようやく捨てる時が来るのは、収納スペースの問題が浮上した時なのかもしれません。
捨てる時はやってくるのか
今後、小物入れとして使えないほど傷んできた時に、また、悩むことになるかもしれません。
しかし、その時にこのポーチは、安らぎや誇りの段階を経て、高齢期を生きる自分の「お守り」に昇華していたりして(笑)。
新しいポーチのゆくえ
ところで、見つけた新しいポーチはどうなるのか。
2つもあるのです。
このペースでいくと、私が生きているうちに使うことはないのではと思えてきます。
ま、そんなことは心配しなくてもいいか。
時々出してながめていると、気持ちも落ち着き、いやされるのですから。
実家の梅の花もほころび始めています。