両親が亡くなってから、3年目の初夏を迎えようとしています。
両親や実家に対して、記憶がうすれていくこともある反面、思ってもみないところで苦しい気持ちになることもあります。
実家の雑草
その1つが、実家の雑草です。
玄関まわり、庭、畑。
ぼうぼうと草のはえている実家は、胸がしめつけられます。
両親がいたころ、こんな風景を見たことがありませんでした。
この家にも、雑草がはえるのか。
こうやって、いつの間にか何かがちがっていくのでしょうか。
メモ書き
押し入れやタンスの整理をしていてもしかり。
クローゼットの中を見ていると、母のコートにメモがついていました。
「一生物のコート」
笑えます。
オンワードのもので、裏地がはずれるようになっており、長いシーズンに対応できるものでした。
裏地と同じ生地でできたマフラーもあり、いかにも高そう。
だれからもらった、いつ買ったか。
メモがついているものがたくさん残っていましたが、「一生物のコート」には、まいりました。
この「一生もの」のステキなコートを着て出かけることが、いつまでも続くことはありませんでした。
「一生もの」って、「ずっと続く」ことかと思っていましたが、亡くなるまでのことなんだなー。
「少々値ははりますが、一生ものですから。」お決まりのセールストークにおされて思い切って買ったのかな。
けれど、そのとき、自分の寿命がつきる日がくるなんて、おもいもよらなかったでしょう。
はぎれ
裁縫をする人は、だれしもこんなにはぎれを取っておくものなのでしょうか。
何の箱かと思って開けてみると、みんなはぎれ。
しかも、自分の子どもの頃の服や、学校の図書袋の生地までありました。
何かに使えるかもしれない、ただそれだけで取っておいたはぎれが、こんなタイミングで「お披露目」され、何十年も前の記憶を呼びもどします。
空き家の整理はほどほどがよい
老齢の親が亡くなったあと、老齢に向かっていく子どもの気持ちはどう変化していくのか。
苦しさはうすれていっているようでも、空き家の整理をしていると、何かしら「遭遇」してしまいます。
空き家の整理は、きたるべき売却時のためにすすめておかなければなりません。
けれど、空き家をすぐに売却する場合は別として、それだけにかかりっきりになるのは、精神衛生上よくないと思います。
自分がやりたいことや、その他のやるべきことをやって、そのあまりですることだなと。
そうすれば、マイナスの感情を他のことでまぎらわせることができるでしょうから。