空き家となり3年ほどたった実家ですが、タンスの引き出しや押し入れを開けると、少しスッキリしてきました。
物が片づけられてきているのが実感できます。
しかし、夫婦が40年以上も生活し、また、自分の実家であるとなれば、様々な生活品や思いいれがあるため、ゴールはまだまだ見えてきません。
その片づけという地道な作業をしていて思いました。
手間をかけたことに対して、得ているものもあるかもしれないと。
金銭的価値
この金銭的価値というのは、「預貯金」「生命保険」「貴金属類」などの、あきらかに「現金的なものがここにあります」というもの以外のものをさします。
こんなところに現金が
預貯金などの手続きがすんだあとに、こんなところからまさかの「現金を発見」はうれしいものです。
先日なんと、裁縫箱や毛糸、ボタンなどが入っている棚の中に、封筒に入ったお札を発見したのです。
どういうつもりでこんな所に置いておいたのか。置いた本人も忘れていたという感じです。
高級ブランド品まで出てきた
ブランド品、それも高級ブランド品とは縁のない実家でしたが、引き出しの奥からバーバリーのキーケースが出てきたのです。
しかも未使用。
庶民にとっては、まさしく「相続財産」!
精神的価値
亡き母が懸命に生きていた証を見つける
大事な書類を入れておく棚から、古びた5冊のノートを見つけました。
セロテープ跡が変色しています。
書いてある日付から、母が30代の後半だった頃のものです。
洋裁について記録したもので、型紙などがびっしり書かれていました。
そういえば子どもの頃、スカート、ズボン、ワンピースなど手作りのものを着せてもらっていました。
時代的に、何でも手作りする世代だったのだという程度にしか思っていませんでしたが、こんなに一生懸命勉強していたのだと初めて知りました。
親の一所懸命な姿がなぜうれしいのか
親が一生懸命に勉強していたことがわかり、うれしくなりました。
そうだ、一生懸命生きていたのだと。
亡くなる直前は病気で衰えていき、最後の最後はあらがえない「老い」というものを、これでもかと目にすることになってしまったけれど。
そうなる前までは、そうだそうだ、元気だったっけ。
子どもに遺せるもの
親が残してくれたいくばくかのお金はありがたいかぎりです。
同様に、親が一生懸命生きていたのだということもまた、子どもにとってはうれしいものです。
最後は弱って亡くなっていったけれど、それは病気になったからだと。
病気になる前までは、多趣味で活動的だったなぁ。
親が一緒けんめい生きたことは、子どもを勇気づけます。
まとめ
ていねいに引き出しを1つ1つ見てまわれば、思わぬところに「福」がおちているかもしれません。
それが、金銭的価値であれ精神的価値であれ、子どもにとっては、どちらもうれしいものです。