もうじき80歳になる母親が骨折して、どんどん調子を悪くしていったのを見ていて思いました。
体力と気力は表裏であると。
自分も50代のまっただ中。
体力と気力の低下とはこういうことなのかと、わかる年齢になってきました。
当時の母親と違うところは2つあります。
〇体力気力の低下を受け入れるだけでなく、時にそれにあらがっていること。
〇そしてそのあらがうことこそが、どんどん進むであろう体力気力の低下をくい止めているという認識を持っているということです。
炎天下のテニス
先週の中高年テニス教室(午前中)は炎天下でした。
1つのコートに受講生が5人。
コーチが出してくれるボールを、5人で順番に打っていくのですが、待っている間はほんの少しの時間も日陰に入って体力を温存します。
コーチも「ちょくちょく水分補給してくださいね。いちいち私にことわらなくいいですから。」と、何度も声をかけてくれます。
「危機的」な暑さです。
それでも、そうこうしながら、2時間の練習をいつもどおりやり終えました。
いつもは500mlのペットボトルで1.5本くらい水を飲むのですが、2本まるまる飲みきってしまいました。
危機感の高い中高年
「危険」を見越して教室を欠席した人もいましたし、コートまで来てみたものの準備体操が終わったところでテニスをせずに帰った人もいました。
他の人たちも練習は無事おえたものの、この後、体調をくずさないようにしなくてはと決死の覚悟で帰路についたと思います。
私も家についてシャワーを浴びて体をひやし、水分と塩分を補給して休息しました。
その後、特に具合が悪くなることもなく一安心。
小さい1つの自信で元気が出る
不思議だったのが、その日はいつも以上にくたくたのはずでしたから、その後はずっと横になっていてもおかしくないところでした。
それがこともあろうか、家のそうじを始めたのです。
気分がよく、前向きな気持ちになっていたのです!
これは、あの炎天下でもテニスができたんだという「自信」が、気持ちを明るくしてくれたのだと思います。
動いてみることしかない?
年をとってくると、いつでも元気がありあまっているというわけにはいかなくなってきます。
それどころか、気をつけていなければ、元気などあっという間にどこかにいってしまいそうです。
元気がなくならないようにするには、動くことしかないのではと思うこの頃です。
受け身ではなく、自分から動く。
「炎天下で2時間テニスができた」ことが、こんなにうれしい自信になるとは思いもしませんでした。
何事もやってみてこそ!ですね。
年をとるほど?いえいえ、年をとっても小さい自信を積み重ねていくことは必要なのです。